そんなとき、どうすればいいんでしょうか。
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羨ましい気持ちになるのはどんなとき?
ツイッターで「羨ましい気持ち」というキーワードで検索してみたんですが、羨ましくてしんどい人とそうでもない人もいるようです。
羨ましい気持ちになる色々な場面があり、それぞれの悩みの深刻さはそれぞれなんですが、いくつも並べてみると共通点に気付きます。
そこで「羨ましい気持ち」の対処の仕方の前に、まず「羨ましい気持ち」というのが生じるメカニズムを考えてみたいと思います。
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羨ましいのは他人の一側面に過ぎない
まず、あなたはAさんを羨ましく思っているとします。
でもその場合、Aさんの全体を羨ましく思っているわけではないんですよね。
たとえば、「Aさんがお金持ち」だったり「Aさんが結婚している」だったり「Aさんはライブに行ける」だったりします。
つまり、「AさんがXである」のが羨ましいわけで、Aさんの一側面を取り出して羨ましいと思っているわけです。
他人の苦労には興味がない
つい「Aさんが羨ましい」と相談されると、「Aさんにも苦労もあるんじゃない」と答えたくなります。
でも、相談した人からすると、別にAさんの苦労している面に興味はないのです。
Aさんと入れ替わりたいわけではありませんよね。
「AさんがXである」のが羨ましいのです。
まず、羨ましい気持ちの対象は、人ではなく状態である、ということをおさえておきましょう。
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自分には欠けているから羨ましい
その上で「自分はXではない」という認識があります。
当たり前ですが、「自分もお金持ち」なのに「Aさんがお金持ち」であることが羨ましくなることはありません。
また、たとえば子どもがいることを否定的に考える人の場合でも、「Aさんには子どもがいる」というのは羨ましい気持ちにはなりません。
つまり、大切なのは「Xである状態が望ましい、Xになりたい」と思っているという前提があります。
「羨ましい」という言葉は、Aさんは関係なく「Xになりたい」と同じことなのです。
「羨ましい」と、つい人に注目してしまうのですが、実はもっとも注目すべきはXという状態です。
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できそうな可能性があるから羨ましい
では、なぜAさんを羨ましく思うのでしょうか。
それは、XであるAさんの存在は、「自分にもXできるかもしれない」という希望を見せるからです。
遠くの大金持ちより、身近な小金持ちの方が憎い、という現象がありますよね。
「自分もxになれるかもしれない」という希望に直面すると、人は選択を迫られます。
できるように努力をするか、自分にはできないと諦めるかを選ぶことが求められてしまうからです。
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羨ましいとしんどくなるのは努力する気がないから
ポジティブなときは建設的な努力をすることを簡単に選ぶことができます。
しかし、悩んでいるときって概してエネルギーがないときですよね。
努力する気力がないので、「どうせ自分にはできない」と自分を貶めることで、納得せざるをえません。
この自己卑下の感覚が、「羨ましい気持ち」のしんどさを生むのだと思います。
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努力できないのはエネルギーが足りない
羨ましくて相談する人は、エネルギーが少なくて落ち込んでいる状態です。
それに対して相談を受ける側は、精神的な余裕があります。
なので、羨ましくてもしんどくならないのです。
どうしても相談してもかみ合わなくなってしまいます。
それは、同じ「羨ましい気持ち」を感じても、次に派生して生まれる気持ちがぜんぜん違うからです。
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羨ましさを活かすには心の余裕を作る
では、どうすればよいか。
結論としては気力がないことがしんどさの現況なので、自分の精神状況を自覚して、少し休むことです。
少し心に余裕が生まれれば、羨ましい気持ちのしんどさは自然となくなるでしょう。
羨ましい気持ちと共存できるようになるのです。