人にはしんどい時の対処方法としては色々なパターンがあります。
例えば、おこりっぽくなって八つ当たりで発散するという方法もあります。
あるいは、泣いたりわめいたりして発散するという方法もあります。
他には外界をシャットアウトして、ひたすらに何かに打ち込んで現実逃避するというやり方もあります。
私自身もこれらの方法をその時その時に使っているんだなあと思います。
余裕がなくなってイライラして八つ当たりをすることもあるし、意識的に感動する映画を見て泣いて発散することもあります。
気づいたらずっとネット動画ばかり見ているということもあります。
---
その中で、私がついついやってしまうことに、「他の人を拒絶する、外界を拒絶する」ということがあります。
しんどさが極まると、どうしても「人に何かしてもらう」ということが嫌になります。
人のことで悩んだりするのが煩わしくなります。
それに顕著に気づくのは、自分が食欲がなくなって、朝ごはんを食べなくなる時です。
だんだんとご飯が食べたくなくなっていく自分の内面を観察してみると、これは「外界を拒絶」しようとしているんだなと思います。
---
こういうタイプの人は、もともと「優しい」人なのかもされません。
人がしんどそうだったら手を差し伸べたいという性質が、外界にも自己投影してしまうのかもしれません。
よく責任感が強い人はうつになりやすいといいますよね。
責任感ということばがしっくりくるかはわかりませんが、他人がしんどそうだったり機嫌だったりすると、影響を受けやすいということなのかもしれません。
そのため相手のしんどさに影響されないようにしている行動が、「責任ある行動」に見えるのかもしれません。
人は自分がされて嫌なことは相手も嫌だろうと思うものです。
あるいは、自分が感じるように相手も感じるはずだと思う傾向があります。
外界を拒絶して自分を痛めつけるのは、外界の方が気を使ってくれるはず、あるいはそうでもしなければ「自分なんか」に気を使ってくれないという、強い思い込みがあるんだと思います。
---
しかし残念ながら、この方略はうまくいかないんですよね。
そういうことをしても、他人の方は距離をとったり憤慨したり、そもそも何でそんなことをするのか理解できなかったりします。
自分が求めるような「優しい対応」はしてくれません。
それは外界が薄情だからではなく、正しい方法で自分を表現していないからです。
結局、素直に自分が求めていることを伝えるのが一番早いんだと思います。
人間のコミュニケーションでは、なんといっても言葉が一番表現力があります。
---
長年、自分と付き合ってると自分の癖というのが少しずつわかってきますが、なかなかその癖から脱することができないものです。
もししんどい時に自分の癖に気づけたら、少しでも良い方向に行くかもしれません。