大人になるということ ~ 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から考える

ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」というオペラは、若い男女のラブロマンスにみえますが、実は「大人になるということ=因習との対決と調和」がテーマだと思います。


ニュルンベルクのマイスタージンガーのあらすじ

ニュルンベルクに訪れた若い騎士ヴァルターは、教会で出会ったエーファに一目惚れする。しかし、エーファは親方職人の娘で、プロポーズできるのは「ヨハネ祭の歌合戦」で優勝した者だけ。

マイスター作法の煩雑さに、ヴァルターは一度は挫折し自暴自棄になるものの、師匠ザックスの導きとエーファへの愛で、マイスター歌曲を見事に歌い上げる。

優勝したヴァルターをマイスターの一員に迎えようとするが、ヴァルターはいったん固辞する。そこで、師匠のザックスは芸術と伝統を継承することの尊さを説いて、ついにヴァルターはニュルンベルクのマイスターの一員に加わる。

マイスター(親方)であり、ジンガー(歌手)である

「マイスタージンガー」は、職人であり芸術家でもあるという点がとても面白いです。

伝統=規則・共同体・親。
革新=独創・個人・若者。

「大人になるということ」は、感情を捨てて規則に縛られるようなことではありません。
今で言えば「社畜」的な生き方では、創造的な仕事はできません。

といって本能のままに駆け落ちするような無責任のままでよいわけでもないでしょう。

中庸が大切です。

半音階進行と全音階進行

音楽的にもワーグナーは、《トリスタン》で確立した半音階進行が内声部に含みながら、モチーフには全音階進行に回帰しています。

構成も、古典派交響曲のソナタ形式や、バロック以来の対位法を駆使し、伝統と独創の融合に工夫を凝らしているように見えます。

保守主義と排外主義

フィナーレでのザックスの最終演説の一説にある、

「神聖ローマ帝国は煙と消えようとも、聖なるドイツ芸術は我らの手に残るだろう」

というフレーズは、急進的な民族ナショナリズムの高揚に利用された歴史がありますが、その真意は「文化を継承し発展させること」にあると思います。

ワーグナーという人物の真意は?

ワーグナーは虚飾と自己愛に満ちた人物として伝えられますが、彼自身が情動に振り回され、伝統との軋轢に苦悩していたのかもしれません。

職人も芸術家も現代のビジネスマンも「不易流行」のなかで、価値を創造しているでしょう。

ドラクエの「序曲」

ドラクエの序曲を聴いたときに、そのワクワク・高揚感に既視感があったんですが、ワーグナーもひとつの模範のようです。

すぎやまこういちさんの音楽は、ドイツ的なワーグナーだけでなく、チャイコフスキーやドビュッシー、はたまたバッハやシェーンベルクやストラヴィンスキーなど、西洋音楽の技法をバランスよく組み合わせています。

それでいてどれも「すぎやまサウンド」として統一感もあり、それぞれの曲が孤立せずに一つの世界を作り、聴きこむほどにすごいなぁと思います。