アキラとかもそうだけど、クリエイターに影響力が強い作品が、のちに「陳腐」扱いになるのはしかたないのです。
ちょっと寂しいけれど。
リアルタイムならではの興奮
ドラゴンボールが今じっさいにストーリーとして面白いかっていわれると、正直なところちょっと微妙といわれても仕方がないかもないと思います。強くなっても、どんどんもっと強い敵が出てくるインフレ・ストーリーはワンパターンともいえますし。
でも、リアルタイムで追って行った当時は、わくわくしたし、ハラハラもしました。
連載中効果
エンターテイメントには、ライブだからこその面白さって確実にあります。テレビドラマも毎週見ると面白くても、一挙見まではしないかな、というものもありませんか?
いわば「連載中効果」があります。
結末が決まっている場合
それが、完結している作品を鑑賞する場合は、少し違います。結末が決まってしまっているので、何が伏線なのか、などがわかってしまうのです。
ぎゃくに連載中なら、すべてが伏線に見えてしまうし、視聴者の反応次第で結末が変わることもあります。
作者と視聴者の交流
表現作品って、作者と視聴者がいて成立しますが、とくに連載中やライブの場合は、その関係が密で、だからこそ特別な作品になります。一方、完結した作品の場合は、そうはいきません。
どちらかというと、その作品の独自性や作りこみが評価されます。
その中で傑作だけが、メイキング・エピソードに注目されたり、神格化されることになります。
時代を越えてもある、作者への共感
たとえば、私はクラシック音楽が好きなんですが、はじめは曲から受ける素直な印象、たとえば優しい雰囲気とかかっこいいとか、そういう印象で曲を好きになりました。でも、いろいろ聴きくらべるうちに、構成の見事さや作曲当時の作曲家の置かれている状況からの心情などを想像するようになって、どんどん曲に対する思い入れが深まりました。
「この人にもこんな一面があったんだ」と感じると、作品単体ではなく、作者への共感という形で作品を味わうことが増えました。
歴史的文脈は作品の魅力?
しかし、有名な作品は、どうしても一見「ありきたり」に見えてしまいます。歴史を知ると、その作品の革新性や、ほかの偉大な作品に与えた影響などがわかるのですが、そういう文脈から切り離して、その後の作品とならべると陳腐に見えてしまうのです。
歴史的な文脈を、作品の魅力や価値に含めるべきかどうかについては、人によって感じ方が違うかもしれません。
素直に見て魅力に感じなければ、「駄作」という人もいてもおかしくないですよね。
でも、作品を味わう上では、その作品の置かれた文脈を知ることも、豊かなことな気がします。
ドラゴンボールに話を戻すと、あのころは幽遊白書とか、いろいろな作品と合わせて、一つの楽しさを作っていたように思います。