夢は哲学のたね ~知覚と存在の不一致

こんにちは。5歳の子どもに「目をつぶったら夢になって、もう1回目をつぶったら目が覚めるんだよ」と言われました。



どうも5歳の子どもでも「夢」と「現実」の違いを認識できるようです。

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しかし、この感覚は考えてみたら不思議なことで、夢と現実の違いはいったいどこにあるのでしょう。

頭で考えても、私たちが「現実」と思っているものも本当に「夢」と違う存在なのかどうかは、実のところはよく分かりませんよね。

実際、このテーマのドラマや映画は、映画「マトリックス」や「アバター」をはじめとして、たくさんあります。

私自身が初めてこのテーマに直面したのは、教育テレビの「天才てれびくん」の企画の「クラインの壺」というドラマです。



仮想現実の世界に入る装置を使っている主人公が、だんだんとどちらが現実なのかよくわからなくなるというストーリーは、子どもながら不気味だったように思います。
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古くはデカルトの「コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我在り)」という命題も、この知覚と存在についての不思議な関係を取り扱ったもので、哲学の主要なテーマの一つです。

夢というのは不思議なもので、このような哲学的な問いの芽を、つまり知覚は危ういということを、物心つく前から人間に示しています。

まるで、人間は生まれつき、このような哲学的思考をプログラムされているようです。

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ここ数十年の神経科学の知見によって、人にはしばしば実際に知覚されているものが、認識できない場合があることが示されています。

相貌失認やカプグラ症候群など、見えていても認識できない脳機能の障害はたくさん知られてきています。

もちろん、私たちはだれでもアルコールを取って酩酊したり、恐怖心や不安が高じたりして、普段気づけることが気付けなくなるということを経験していますよね。