ふだんなら、ただ「コーヒー」とだけ言うのですが、これは特別な「ドリップコーヒー」。
今日は このドリップコーヒーを淹れる待ち時間について 書いてみます。
待つ
Dongreeさんのコーヒーを飲んだんですが、まさにこの器具でドリップしてくださいました。
注文をすると、コーヒー豆を計って挽き、そしてお湯を注がれるのをじっと待つ。
すべてがこの一杯のためだけの時間。
私なんかは、細口の「ドリップポット」(この名前も調べて知った)から じっとお湯を注いでもらうのが、申し訳ないような なんとも言えない感覚になります。
つい「代わりにポットを持つので、他の仕事をしてください」と言いたくなってしまいます。
ちなみに、ドリップポットとはこういうものです。
にょろっと細長く曲がった管が、実にエモい(つまり良い)ですよね。
時は間に生まれる
とはいえ、そこはプロの仕事。素人が簡単に代われるものでもないわけで、静かに待っていました。
後からホームページ(上のリンク)で知ったんですが、
「ハンドドリップコーヒー」
というのですね。
うん、静かに待っててよかった。
とにかく、「じっと淹れるのを待つ」という体験はとても衝撃的でした。
それからは家でコーヒーを淹れるときもお湯は一気に入れずに、ゆっくり待つようにしています。
沁み込む
それにしてもドリップコーヒーを淹れる作業って、理科の実験みたいですよね。なんか、昔、アルコールランプでビーカーを熱して、なんかを抽出した実験を思い出します(何を抽出したんだっけ)。
「抽出」。
コーヒーも、ちょっとした錬金術(Alchemy)の実験。
今は、「錬金術」というと「まがいものの金作り」のような 胡散臭いイメージになってしまうのが残念です。
真理の探究のはずなのに。
ドリップを濾過と言っていいのかはわからないけれど、じっくり水が流れ落ちるのを待つのは、濾過みたいです。
ちょうど降った雨が 地面を通って 湧き水になるように。
その間に心もコーヒーを味わう準備が整うような、そんな気がしました。
時間の管理
「時間を浪費せずに活用する」という考え方があります。自分の時間の使い方がよいのか、振り返る機会はよくあります。
一日テレビを見てダラダラ過ごした後は、少しは「ためになる時間」をすごさねばという強迫観念に駆られます。
昨日もそんな衝動でドラッカーの本を数ページだけ読み返してみました。
時間を無駄に使わせる圧力は常に働いている。何の成果ももたらさない仕事が時間の大半を奪っそして、反省します…。
ていく。ほとんどは無駄である。地位が高くなれば、その地位がさらに時間を要求する。
経営者の条件(p.49)
でも、この「浪費」というのは、案外わかったようで わからないものです。
なにが「無駄」か、見分ける違いはなんなのでしょう。
さっきのコーヒーを淹れるまでの待ち時間は、浪費なのか、そうでないのか。
何をして喜ぶ?
別にドラッカーも効率一辺倒の人でもなくて、きっとこの本のテーマは「効果的に成果を上げること(effective)」なんだと思うのです。つまり「成果」とは何か考えないといけませんよね。
そう、成果は「目的」に照らして考えるものなんだと思います。
自分の胸に手を当てて、いま本当にしたいこと(それこそすべきこと!)を感じ取らないと、何が浪費かなんて わかりません。
働く時間と、生活する時間では、自ずと「目的」も変わります。
あぶない、あぶない。
もったいないかどうかは自分次第
コーヒー淹れる時間について、はじめ「なんかもったいないような気持ち」がしたときは、この時間の目的がわからなかったんですね。でも、待ちながら だんだんと この時間そのものが おいしいコーヒーを作っていることに知ります。
幸せな時間を生み出していることを気づきます。
「意味がある」と胸を張ってしまえば、時間は無駄にはならない、そんな曖昧さがあるのです。
年末年始は「まとまった時間」があるだけに、「普段できないこと」を あれもしたい、これもしたいと 詰め込みがちです。
だけど、「普段できていないこと」も待ってはくれません。
すると、いろいろ焦ることになります。
子どもに振り回されて遊びながら、ふと考えます。
どうやら「成果」ばかり見て、その時々の時間を味わうことを忘れるからこそ、時間は無駄になるのかもしれません。
じっくり過ごす、お正月。
さて、少し心の整理もできたので、公園で思いっきり遊んできます。
今年もよろしくお願いします。