あずきさんのツイート(https://twitter.com/_azuki_15/status/997705612661149696?s=19)を見て、すごく共感しました。
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友達と会うのはすごく楽しいんだけど、帰り道「あの言葉選び間違ってたんじゃ!?」「不快な思いにさせなかっただろうか」「あの話題はつまんなかったかな...」「また余計な一言言っちゃった気がする」っていう1人反省会を延々と続けてしまう...実際そこまで考える必要はないんだろうけど...— あずき@7/31PCPD診断 (@_azuki_15) 2018年5月19日
友達と会うのはすごく楽しいんだけど、帰り道「あの言葉選び間違ってたんじゃ!?」「不快な思いにさせなかっただろうか」「あの話題はつまんなかったかな...」「また余計な一言言っちゃった気がする」っていう1人反省会を延々と続けてしまう...実際そこまで考える必要はないんだろうけど...
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私も友人と楽しく食事していたのに、あとあと振り返ると相手に嫌な思いをさせていなかったかと、延々と考えてしまうことがあります。
この現象は「反芻思考(はんすうしこう)」と名付けられています。
「反芻思考」とは、「ネガティヴなことや記憶を繰り返し考えてしまう」考え方のパターンです。
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私も「気にしい」とか「考え過ぎ」とよく言われるのですが、こういう悩みを持つ人って意外と多いのではないでしょうか。
基本的に「気にしい」は「相手の気持ちがよくわからない」という不安から起こります。
悩まない人は「楽しい顔をしているし、楽しいんだろう」と相手の表情を素直に受け取ります。
しかし、「気にしい」の人は、相手の楽しい表情だけでは安心できないという点に、感じ方の癖があります。
自分の感じ方の癖に気づくと、この「気にしい」の無限ループから抜け出せます。
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鬱などの治療法の一つに「認知療法」というのがありますが、これは何も自分の考え方を無理やり変えることではないと思います。
むしろ、どうしようもない自分の考え方の癖に気づくこと、自分を認知することなんだと思います。
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もともと「反芻」は、牛などの草食動物が、「一度飲みこんだ食物を再び口中にもどし、よくかんでからまた飲みこむこと」です。
なぜ反芻が必要かというと、それは植物の繊維質が消化しにくいからです。
ネガティブな考えばかり反芻してしまうのも、ある意味自分にとって消化しにくいからなのかもしれませんね。
反芻思考をしながらも、なんとか現実を飲み込もうとしている姿なのかもしれません。
世の中ははっきりしないことばかりですよね。
「たぶん大丈夫」で留めておければ、他のことにエネルギーが使えますね。