もちろん、これは自分の靴だ。
一つ前の革靴も、そのまた一つ前の革靴も、
やっぱり汚かった。
つまるところ、2つ前の革靴との出会いは、突然だった。
それは、演奏旅行の最中。
といっても、学生の部活動だったからなんてことはない、半分演奏、半分観光ツアー。
でも、部活動だからこそ、お金がない。
有り体に言えば、弾丸ツアーで、
半分の「観光ツアー」は名ばかりで、
その実態は連夜の打ち上げだった。
つまり、正確には半分演奏、半分飲み会、が正しい。
その半分の飲み会は、意中の人をじっと眺めているような、そんな演奏旅行。
そう、昔から自分からは言い出せない性格だった。
相手が自分のことをどう見ているかなんて、まったくわからない性格だった。
もっとも、それは今も変わらないかもしれないが。
今となってはもうわからないが、あの人は自分のことをどう思っていたんだろう。
それはそうと、そんな中、その革靴と出会った。
それが、2つ前の革靴。
その日は、演奏旅行の初日。
コンサートホールの控室、私はトランクの中をひっくり返しながら、黒の革靴を忘れてきてしまったことに唖然とした。
だって、コンサートといえば、黒の上下に黒の革靴。
おまけに黒の靴下、と決まっているからね。
だいたい、昔から忘れ物が多かった。
小学校の頃は忘れ物をしないために、ランドセルの中にはいつもすべての教科書を詰め込んでいた。
こんな話をすると、たいてい「それなら、学校の机に置いておけばよかったのに」といわれる。
でも、それはできなかったはず。
机の中には、すでに「お道具箱」という水色の頑丈な紙箱が鎮座していたから。
そう記憶しているが、もしかすると、これも誇張かもしれない。
だって、さすがにたまにしかない家庭科や書道の教科書を、毎日もっていっていたとは思えないから。
これも、今となってはわからない。
そんな私は、忘れ物をしないために、「いつも同じ」ようにしていた。
私は「変化を嫌う」ように見えるらしい。
こないだやった性格診断でもそう「変化を嫌う性格」と出てきた。
でも、その理由のひとつにこの忘れ癖があるように思うのだ。
黒の革靴にしてもそうで、いつもは家から履いて行っていた。
上は普段着で、靴だけが黒革靴だからちょっと変だけど。
そうすれば荷物にならない。
でも、その時に限って、というほどでもないが、普段の通りスニーカーで来てしまったのだ。
とにかく、コンサートに、しかも演奏旅行の初日に、黒の革靴がないのは大問題。
ということで、ホールの周辺のデパートに駆け込んで、慌てて選んだのが2つ前の黒革靴。
急いで選んだからか、ブカブカだった。
それとも、まだ足のサイズが大きくなるつもりだったのか。
子どもの頃はいつもだって、ワンサイズ大きな靴を買ってもらっていたから。
それも、今となってはわからない。
汚い革靴が目の前に置いてある。
捜査は足で稼げ。
誰が言ったか知らないが、そうらしい。
誰が言ったか知らないのは、ざっと調べてもわからなかったから。
一応、今の時代、知らないことはすぐに調べられる。
でも、それだけではわからない、そんな真実にたどり着くため、捜査は足で稼ぐ。
自分は別に捜査をしているわけではないが、朝から晩まで仕事で立っていることが多いから、やっぱり足で稼いでいるんだと思う。
だから、就職してからしばらくすると、このブカブカの黒革靴に不満が出てきた。
すぐに足が疲れたからだ。
それで初めて「専門」の靴屋に行くことにした。
別に宣伝するつもりも、隠すつもりもないが、「アシックス歩人館」というところだ。
足の形を立体的に計って、自分の足にあった靴を選んでくれるという触れ込みを、テレビ番組で見たからだ。
テレビはやっぱり侮れない。
そこで1つ前の革靴を購入したのだが、ここで驚愕の事実を知った。
それは、靴ひもはしっかり結ぶ、ということだ。
自分は几帳面な性格で、それはこの文章にもにじみ出ていると信じているんだが、ほんのちょっぴりだけ ずぼら なところがあって、それは靴を履いたり脱ぐときにいちいち靴ひもを結び直さない、ということである。
小学校時代の記憶のせいにしておこう。
上履き、運動靴、体育館シューズ、と一日の間に何度も靴の履き替えをさせられていては、そのたびに靴ひもを結び直すなんて不可能なのではないだろうか。
ゆるく結んで脱ぎやすくしたくなるのが自然なのではないだろうか。
そう、昔から効率的な人間だったのだ。
しかし、大人になって働きだすと靴を脱ぐ場面はうんと少ない。
たぶん飲み会でお座敷席に案内されたときに、自分の靴下に穴が開いていないか、と心配するときぐらいだろう。
とにかくお店の人が教えてくれたのは、靴ひもはしっかり結ぶ、ということだ。
より正確に言うなら、靴の踵をぴったり付けたうえで、上から靴ひもをきっちりと結んで、足の甲と踵の二点で靴を固定する、ということらしい。
ところが、大変だったのはこの後。
ワンサイズ大きな靴をゆるく履いていたそれまでの人生では、靴とは脱げないように「つま先でつかむ」ものだった。
だから、いきなり違う履き方になり、体が悲鳴をあげた。
踵が擦りむけてしまって、ヒリヒリと痛む。
まさに血のにじむような努力である。
職場では「急にいい靴なんて買うから」と笑われた。
でも、努力は報われる。
だいたい2か月のうちに踵の靴擦れは消え、皮が厚くなった。
仕事にも慣れてきた。
汚い革靴が目の前に置いてある。
でも、そんなに臭くはない、と思う。
まぁ、なるべくなら嗅ぎたくはない程度だけど。
小学校の頃の上履きは、汚い上に臭かった。
私が小学校だったころは、たぶんこれを読んでいる人の多くもそうかもしれないから、取り立てて言うほどでもないかもしれないが、教室に空調はまだなかった。
だから夏は暑くて、すぐ足は蒸れた。
授業中は上履きを脱いで、靴下も脱いで、机の脚の金属のひんやりしたところに足の裏をくっつけていた。
それだけなら臭わないのだろうが、素足のまま上履きを履くもんだから、すぐに臭くなった。
だから、靴は履けば臭うもんだと思っていた。
靴は汗で臭うもんだと思っていた。
そうでないと知ったのは結婚してから。
「リセッシュ」「ファブリーズ」である。
感謝のしるしにアフィリエイトリンクでも貼っておきたいぐらいだが、まぁ、それはいいとして。
それまで、消臭剤というものに対して、香水のように匂いで臭いをごまかしているだけ、と思っていたので、使ったことがなかった。
しかし、突然現れた黒船、文明開化の匂いは消臭剤とともにやってきた。
それは、除菌である。
知ってしまえば簡単なことで、靴の中の汗が臭っているのではなく、雑菌が臭いを出していたのである。
つまり、私は臭くない。
雑菌が臭かったのである。
だから、除菌すれば、臭いはかなり抑制できる、そういうことだったのだ。
皆さん、ご存知でした?
たぶん、こういうことって当たり前なのかもしれない。
みんな、どこで知るんだろう。
少なくとも私は学校では習わなかったけど。
当たり前といえば、みんなの革靴はだいたいキレイに輝いている。
ずっとさぞ高級な靴なんだろうと思っていた。
理由は今となっては知っている。
手入れである。
靴磨きである。
妻(当時は結婚前だったが)から勧められた『幸せになるゾウ』という本の中で、ガネーシャという関西弁のゾウの神様が言っていた。
幸せになるためには「靴を磨け」と。
そのほかに、「一日、一人は笑わせる」とか、「コンビニで釣銭を寄付する」とかいろいろあった気がする。
しかし、朝の仕事前のあわただしい中でおちおち靴なんて磨いてられない。
帰ってきたら、仕事のことなんてすっかり忘れてしまいたい。
黒革靴のような仕事を連想させるものは目の中に入れたくもない。
それは言い過ぎだが、結局、玄関に行く必要なんてそうそうないから、目に触れず忘れ去られてしまう。
磨けない言い訳だけは得意になったのは、きっと大人になったからだ。
3000文字書けないのだってそうだ。
いつだって大人は忙しい。
けっきょく私は今もたまに思い立って靴を磨くくらいだが、なんとか幸せに暮らしている。
それは「一日、一人は笑わせる」だけは実践しているからだと思う。
その理由も今となっては知っている気がする。
君の笑顔につながるように。
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おんなじお題でいろんな人が書くいろんな文章を読めば、きっと世界が広がりますよ。
そして、ぜひ、できたら夜な夜な思うことをつらつら文章にしてみてください。
それを受け止めてくれる誰かを信じることができたなら、うんとお空は広がって悩みは溶けてしまうかも。
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