そんな中、本屋でたまたま「ヘタなリーダー論より韓非子の教え」という本に出会い、パラパラと立ち読みして買ってしまいました。
なぜ面白いと感じたか読前感を書いてみたいと思います。

1. 韓非子と法家思想
面白いと思ったのは、韓非という人物です。韓非は秦の始皇帝の時代の思想家・政治家です。
秦といえば紀元前221年に中国の戦国時代を統一した帝国で、法家思想による厳しい律令国家です。
とくに厳しい法律が民衆の暴動を招き、わずか15年で滅びてしまった大帝国です。
初めて子どものころに勉強した時は、「過酷な法律は結局長続きしない」という教訓として理解していました。
2. 始皇帝ゆえの悩み
ちょっと韓非子とは話がそれますが、「項羽と劉邦」についてのドキュメンタリーを見た時に感じたことがあります。それは、「楚国」という強い国意識が秦朝の時代にもあったということです。
結局、楚国の末裔たちが秦を滅ぼし、最終的には漢王朝が成立しますが、秦の時代は「統一帝国」と「国意識」が共存しているわけです。
つまり、秦はそれぞれの文化的に異なる国とその国民を束ねる必要がありした。
「皇帝」という言葉じたいが「国々を束ねること」を意味しました。
3. 伝統を共有していない国
伝統や思いやりといった「阿吽の呼吸」では、統治できなかったのも無理はありません。文化や考え方が違う人々が共に暮らそうと思うと明文化したルールというのが頼りになります。

「情に棹差せば流される」ように、曖昧な人情ではなく合理性を判断基準にしなければいけませんでした。
従って今にして思うと、秦が法家主義を基盤としたのはとてもよくわかります。
4. 人はお互いを理解できるのか
さて、この韓非子はそういった法家の思想家でした。一般的には法家思想は性悪説をとると考えられます。
これまで、性悪説とは「人間は本質的に利己的である」という考え方だと思っていたのですが、韓非子を読んでみると、そういうことではないのかもしれないなと思いました。
どちらかというと「人はお互いを理解できるのか」という問いに対して考えたときに、性悪説とは「人間は本質的に互いを理解できない」という考え方なのではないか、と感じます。
「人はそれぞれ感じ方や考え方が違うのでお互いを理解することはできない」と諦めた上で、「ではどうすればスムーズに生きていくことができるのか」ということを考えていたように思います。
ふと「バカの壁(養老 孟司,2003)」の主題が思い起こされます。
5. 信じたい心
基本的に人を信じないというスタンスは、一見して 冷徹なように思えますが、むしろ韓非は苦労人という方が近いように思います。すごく用心深くて、君主に対する発言には十分に気をつけていたのに、韓非子は結局、同僚の讒言で秦の始皇帝に誤解され、死を賜るという最期を遂げるのですが、本当に人の世はままならないと思えます。

韓非子が意識的にブレーキを言葉にしていたのは、天下国家に対する志という強力なアクセルがあったからこそな気がします。
「人間は必ず理解し合える」というポジティブな考え方ではなく、といって「人間なんて信じられない」という絶望でもなく、「人間をつい信じたくなる」あるいは「わかってくれるだろうと期待してしまう」という自分自身の甘え、あるいは理想主義を冷静に見つめていたのかもしれません。
「人を信じる」というとキレイですが、逆に「人に過度に期待する甘え」ともいえるのです。
6. 現代社会での共生
誤解されることの可能性を正しく認識することは、現代においても自分の働き方を考えるヒントがあります。韓非子の思想は、「全ての人間が理解してくれない」とか、あるいは「全ての人間を法律で縛らなくてはならない」というものではなく、「人間の中にはきちんと法律で書き込まないとわかってくれない人もいるよね」というぐらいの考え方なのかもしれません。
しかし、韓非子が整備した法律は、皮肉なことにその適用においてもなかなか理解されず、結局民を苦しめることになります。
法律や共通観念が普及されるまでにはある程度の時間が必要です。
次の漢王朝が長期にわたって続くことができたのは、秦の行き詰まりがなくてはならなかったのかもしれません。