それは、似たようなタイトルならなるべく海外の作家のビジネス書を選ぶ、ということです。
こういうと、国内の作家を貶めるような感じがしたり、「欧米信仰」かと思われてしまうかもしれませんが、そういう意図はありません。
実際、邦人のものもよく読みます。
というか、ほっておいてもどんどん書棚を占拠していきます。
では、何が言いたいかというと、「査読」の問題です。
ビジネス書の当たり・はずれ
ビジネス書は、内容的には重複するものが多く出回るジャンルです。そのこと自体は悪いことではなく、それぞれが好みの語り口で受け取ることができるのです。
しかし、中には内容が薄かったり、著者の主観が濃すぎてがっかりするものもあります。
特に多作傾向の著者の本には、良くも悪くも講演のような雰囲気のものがあります。
残念ながら、じっくり練られた本とインタビューのように書かれた本が並んでいる状態なのです。
翻訳者が存在するという価値
このような玉石混交の状態は、海外でもあまり変わらないでしょう。ただそこから日本語に翻訳されたものは、誰かがわざわざ訳して出版しよう、と思ったからこそ存在しています。
つまり、著者以外のチェックが必ずあるわけで、タイトル倒れの本は少ないのではないか、と思えるのです。
内容的にも問題領域の話題を相互に関連付け、一般化した視点を与えてくれるものを選びやすい気がします。
翻訳モノの欠点
ただ、翻訳本には2つ大きな欠点があります。1つは、訳文が読みにくい場合があること。
もう1つは、文化的な違い(とくに人間関係に関する話など)があって、直接当てはまらないことです。
自分のテキストを探す
というわけで軽い読み物としてなら、あまり気にせずいろいろかじってみたらよいでしょう。ただいくつか読み漁ると、必ず典拠となるような一冊を求めるようになると思います。
よほど良い本だと、原典と読み合わせて理解したりしますよね。