どうして思い通りの政治ができないのか〜都知事選候補のインタビューを見て

政治家って、難しいですね。

最近、古墳時代の歴史にハマっているのですが、たまたまYoutubeで都知事選の候補者の対談番組を見ながら、つらつらと思ったことをまとめておきます。

政治家という仕組み

大げさに言えば、代議制民主政治における政治家という仕組みは、2つのプロセスにを分解できるんだろうと思います。
  1. 支援者作り
  2. 利害調整の意思決定
(1)は選挙に勝つ、という存在条件で、(2)は意志を実現するという目的条件です。

おそらく政治家を志す人は、(2)のために選挙に立候補していると思います。現状の仕組みに歪みを感じていて変えたいと訴えていますよね。

例えば、「介護離職ゼロ」とか、「地方税の軽減」とか。
「規制の撤廃」とか、「観光業の誘致」とか。

税金の重さとか、使い途について、あるいは規制が厳しすぎるとか、逆に不正が放置されているとか。

社会で暮らすいろんな人の利害には必然的に利害が生まれますが、それが「アンフェア」であるから是正したい、というのが政治家の目的なんだと思います。

誰でもある既得権

ポジティブな公約には表裏一体で、既得権の弱体化があります。

「既得権」というと特別な利権のように聞こえますが、私達が安定した社会生活を送ることができること、それ自体が祖先から受け継いだ「既得権」なのです。

家も、モノも、財産も、社会秩序も、すべて既得権です。

行政には、これらの既得権を調整する権能があり、それは民主的に選ばれた政治家に委ねられているわけですよね。

結局、行政的による社会問題の解決は、誰かの諸権利を弱め、誰かの諸権利を強めることでなされています。

そして、誰でも自分の現在の権利はあまり弱めたくないが、将来の権利と天秤にかけて妥協する、ここに利害調整が可能になるわけです。

徴税と分配などはまさにそうです。

「バラ色の公約」の帰結


「バラ色の公約」というのは、権利の強める部分を強調して、弱める部分を隠す戦略です。

これは、(1)の支援者作りのためには、有効です。
しかし、本質的に2つの問題を孕んでいます。

1つは、公約が実現しない、ということ。八方美人で実がないパターンです。

もう1つは、思わぬ不利益が発生する、ということです。「騙された!」パターンです。

しがらみという制約条件


シンプルな人は、政治家は額面通りの権限を行使できるように考えますが、実際の歴史をみるとなかなか思い通りにならないようです。

それは、支援者の存在です。

政治家には任期があるので、任期後の人生をどうするのか、という問題があります。

利害調整という仕事なので、なかなか通常の産業に戻ることができないようで、必然的に政治家を続けていくパターンがおおいようです。

そうすると、支援者をキープする必要が生まれます。

そこには、2つの戦略が考えられます。
  1. 有権者全体にアピールする
  2. 前回の支援者を固める
(1)は創業のような厳しいもので、毎回は初出馬のように苦労をするのも大変です。(2)の支援者を固める傾向があります。

この支援者集団がはっきり目立つ場合には、「しがらみ」といって、それ以外の人から批判されることになります。

しかし、選挙は多数人にアピールする戦いなので、動員力が必要です。多くの政治家は自分だけの直接の支持者だけで選挙に勝つことができないので、すでにある組織された生活者集団の力をいくつも借りる必要があります。実業団体や宗教団体、労働組合などが有力です。これらの集団は生活する人々を束ねていて、資金や動員力があります。ちょうど地域豪族のように、政治とは別に生活に根ざした集団が割拠しているわけです。

泡沫候補のボーダーライン

ちなみに、選挙報道においては、「泡沫候補」というものがあります。何が基準になっているのか不明確なのですが、どうも既存組織の支持の有無にあるように思います。

「純粋に政治を志した」立候補者は、既存組織の支持を得られないと「泡沫候補」として扱われるようです。

あくまで既存秩序の中での利害調整をめぐる争いが、「選挙」のようです。

思い通りの政治をするためには

このような状況を考えると、政治家にとっては(有権者にとってではなく)、「しがらみのない」「理想の政治」を思い通りに実現するためには、どうすればよいのでしょう。

任期後の独立した人生設計があれば、既存の社会集団にいい顔をして当選し、手のひらを返したように好き勝手すれば、理想的な政治ができるでしょう。

しかし大抵は難しいので、次の選挙のために利権誘導をするか、恫喝できる権力を持たなければなりません。選挙によって御破算になるのは職責だけなので、継続する人間関係を構築していくことになるでしょう。

投票する側にとって

構造的な基礎があるので頭を変えても変わらない。こんなこと、大人なら誰でもわかっていることなんだと思います。それにしても、まるで誰かを選べば変えられるような建前を聞くのは変なものです。

そんなことをいうとニヒリズムのようで、たしかに立候補者にとっての「バラ色の政治」は不可能だとは思います。しかし、多くの人は選挙民、投票する側なので、そういう有権者にとっての現実的な政治選択は十分可能だと思っています。

それは、利害調整の争いメカニズムを理解して、選択することです。

自分の思い通りの政治には到底ならないが、自分の考える「核心的な利益」を取りに行くことです。
何が「核心的な利益」、つまり譲れない価値か。

この民主制というゲームは、誰も大勝ちできない仕組みで、それが長所です。25%前後しか勝てない麻雀のようなものです。

であれば、小さく勝つ、なにか1つを選ぶ、それが良いと思います。

投票行動は、政治家に明らかに影響を与えることができます。投票結果をどう解釈するかは、政治家に委ねられますが、自分の一票は確実に投票結果を作っています(開票不正がなければ)。

そう考えると、数年に1回考えるだけでよい代議制はありがたいシステムですよね。
代議員がその間しがらみに苦慮することを考えると。

話をまとめると、
  • 選挙活動と政治決断はもともと衝突する。
  • たいていは、選挙活動を重視する。
  • 支持団体は政治家の生存条件。
  • あくまで、見える政治家は、基底にある生活集団の反映。
  • 支持母体同士の争いとして争点を見る