家庭内教育で花丸がインフレしている話 〜#3000文字朝

なんとか書いた日記が3000文字になったので、#3000文字チャレンジにしておきます。

テーマは……、「#3000文字朝」(4/16 出題分)。

キミにきめた!

(書き終わってから、決めてる)

ということで、午前中の「おうち学校」について書いてみます。



家族を教える、というのは難しい


ということで、「家族を教えるのは難しい」。

これは、よく言われることで、だから学校や塾・習い事の教室があるわけです。

ところが、外出自粛で家に子どもがいる状況が、どの家庭でもありますよね。

そんな中、「あれ?これ、どうしたらよいかな」と思ったので、まとめておきます。

こんなツイートをしました。

やる気を維持するため、子どものプリントに花丸を乱発する。

給付金みたい。

一斉休校はどこまでも?


自分はあんまり学校の成績にはこだわりがない方なんですね。

自分があんまりうまく行かなかったので。

でも、3月からの学校の一斉休校で、しばらくは「春休み」。

適当に「宿題」をしていたらよいかな、思っていました。

ところが、4月も休校で、ずっとこんな調子が続いています。

そうなると、一過性のものではなく、この環境に合った暮らし方を考える必要が出てきました。

生活のリズム・ペースメーカー


一番の目的は、「生活のリズム」。

自分も引きこもっていた時期があるのでわかるんですが、全くの自分ペースで活動すると、どんどんペースが乱れてしまって、結局本人もしんどくなってしまう、ということがあります。

人によるのかもしれませんが、自分で生活のリズムを作るって大変で、「仕事」や「学校」、時間割に合わせて暮らすことで、健康が保たれる、という面があると思っています。

なので、在宅での仕事を増やして、少なくとも「午前中だけは」#おうち学校 をしてみようと思ったのです。

今のところは自宅学習は、「学校教育を補う」という位置づけで思っていて、そこまで「学力をつけなくちゃいけない」とまでは思ってないんですよ。

まずは、「学習習慣」だけは忘れないでほしい。

そのために大人としてできることをしようと。

どうやって「お勉強」せさしむか


家庭で自分で子供の勉強を見る方法は、大きく3種類。

  1. ガミガミと押し付ける
  2. 褒めておだててなんとかさせる
  3. 本人のやりたいことをできるようにする

自分は、(2)です。

(1)は、自分も子どももストレスが半端なくて、これは長期的には続けられません。

たぶん、親子で「勉強嫌い」になります。

(3)は、理想的なんですが、すぐにネタが尽きます。

2・3日ならともかく、そんなに毎回、「面白くて・ためになる」ことなんて思いつきません。

ふと思ったんですが、これ、毎日のごはんの献立を考えるのに似ていますね。

ということで、消去法で(2)になりました。

30分ごとの時間割


うちの子どもは小学校2年と保育園の年中です。

午前中の時間割は、8:30にスタートして、1時間目から4時間目まであります。

1時間目(8:30-9:00):散歩
2時間目(9:10-9:40):散歩の続きか国語
中間休み
3時間目(10:20-10:50):算数
4時間目(11:00-11:30):自由勉強
ご飯準備・昼食
午後は自由(テレビ・ゲーム)など。

こんな感じで、平日は「学校ごっこ」をしているわけです。

ところが、そもそも保育園児に「学校」は無理、というのが構造的な問題です。

でも、「遊び」にすると、今度は小学生の方がぶーたれます。

無理ゲーすぎる。

仕方がないので、悪しき平等主義のもと、折り合いをつけてます。

下の子には、線結びや迷路・お絵かきで、勉強してる感を出すようにする。

朝一、着替えよう


さて、時間割のポイントは、1時間目。

これは、散歩にしています。

「散歩」は「必要」です。

家の前で鬼ごっこをしたり、公園まで遠足したり。

運動をしたり、花や自然を見たりする時間です。

長引くと1・2時間目になります。

これはオススメで、服を着替える、歯を磨く、体温を測る、という「身だしなみ」を毎日習慣づけることができます。

ちなみに、高齢者の一人暮らしでも、「服を着替える」は大切らしいです。

4時間目は、お絵かきやブロックなど、テレビに頼らない遊びの時間です。

あと、それまでの勉強が本人の計画通りにならなかったときのためのバッファ(緩衝材)としても考えています。

2・3時間目が学校の宿題をする時間になります。

各時間は30分です。

4歳児と7歳児には、ギリギリですね。

個人授業は脱力が大事かな


自分でやってみて思ったのが、学校は45分授業とはいえ、けっこうアイドリングタイムがあります。

例えば、他の人が発表している間とか、順番を待つ時間があります。

これは、多人数授業の良いところです。

でも、家だと、「ずっと子どものターン!」

そりゃ、大変だよね。

ということで、1日、正味30分の学習時間を確保するのがやっとなわけです。

とほほ。

「褒める」を道具にしたくないけど


その学習時間を維持するのも大変、ということで話は、「褒める」になるわけです。

宿題は「あまりやりたくない」ことのようですが、気持ちがノルと、スイスイ進みます。

でも、家には他の誘惑もたくさん。

なかなか「宿題をする」と、観念してくれません。

そこで、ガミガミと「宿題をしなさい!しなくちゃいけないものは、しないと」というのも、なんか気が進まない。

ということで、誘い水。

ちょっとのがんばりを見守ったり、褒めたり。

ポジティブなフィードバックで、コントロールしようとしているわけです。

仕事よりハードです。

はっきり言って、文字のキレイさとかはどうでもいい。

自分でやろうとしただけで十分。

そんな感じで、宿題プリントに丸付けしています。

学校の先生が見たら、「もっとちゃんと見てください」と言われるかもな…とは思うのですが、「緊急事態」だし、しょうがないね。

家族は評価できない


もともと、家はリラックスする場所なんじゃないか、と思うんですよね。

家庭によってはそうも言えないのもわかりますが。

学校の先生のような「他人」ではないので、成果に対する評価なんてできません。

とりあえず、愛情を注ぐしかないんですよね。

量産された「花丸」が生む歪な構造


そんな感じで、あまり整った字ではないプリントに「花丸」を量産しています。

自分の中では違和感があって、何が問題かっていうと、このモチベーションを喚起するために無理やり褒めるという方法は、モラルを崩していく恐れがあるからです。

評価というのは、「何が良いか」っていう価値を伝える、そこに教育効果があります。

そういう価値判断なしに「報酬」が与えられていくと、どんどん活動じたいの方向性を見失わせていく危険性があるなーって思うんですよね。

これって、大人も一緒だな、と。

仕事でも、こういうことはあった。

あと、給付金の話。

こういう危機的な状況だからしょうがない面もあるんだけど、生産していないにも関わらず、維持するための報酬を与えられる。

こういうことに慣れてしまうと、何をしていきたいのか、何のために維持するのかっていうことが、忘れられてしまう、そんな怖さを感じるんですよね。

だからどうしろとか、だからやめたほうがいいっていうことも言えないんですけど。

ただ、これって「薬」と一緒で、かなりの副作用があると思うんです。

なので、そこを冷静に理解した上でこれからの行動していく必要があるな、と。

子供と勉強しながら、そんなことを考えました。

お互い、なんとか乗り切りましょ。