「メイプルおしもち論争」についてのラブレター

すみません。いいタイトルが思い浮かばなかったので「論争」としてしまいました…。

ある往復書簡に心を動かされて、なんも知らん部外者が書いています。

この記事では、2つの真剣なテクストを文学的に批評(前提条件なしに検討)していきます。

なので、「ホントのところ」とか裏情報・後だし情報は全く俎上に載せません。だってわかんないもん。

ちなみに「メイプルおしもち」で画像検索すると幸せな気分になれます。



もしリアルのメイプルシステムズの話に興味のある方は、@人事さんの記事を読んでくださいませ。

これは文学の話なので。たぶん。



2つのnote

さて、「往復書簡」のご紹介をしていきましょう。

まず、おっしーさん(私は匿名アカウントなので、あくまで「おっしー」さんで)のエントリーはこちら。



そして、もっちーさんのエントリーはこちら。


うん、最高に素敵な二人ですね。

解散…。

でもよいのですが…

私はウェットで人が好き

はじめにポジションをはっきりさせておくと、自分は感性的にも心情的にも圧倒的に「おっしーさん寄り」です。

なんだかんだ人が好きだし、目の前の困っている人をほっとけない。たぶん、ウェットなんじゃないかな。

でもね。だからこそ、波立つ感情の起伏の大きさもわかるつもり。

自分でわかってて、自分に嘘ついているところもわかっちゃうんですよね。

(こんなこと書いて、せっかく初めてnoteでフォローしてくれたのに…大丈夫かな)

だから、おっしーさんの話ではなくて、自分の悩みの話をするね。

といいつつ、一般論に逃げるんだけど。

企業組織の本質とは?

この問題は、「音楽性の不一致によるバンド解散」ともとれるんですが、「企業組織の本質はシステムなのか人なのか」というテーマとして受け取れるんですよね。

もっちーさんのツイートを借りると、
周りからは上手く見えてるように見えても
感情タイプと理論タイプでは
そもそも合わないんじゃ!

おっしーさんのノートからは
私はもともとウェットな人間なので、人間臭い組織を作ろうとしていた
もっちーは私よりももっと先の会社の未来を見ていて、”属人化していたら会社の成長はない、すべて仕組み化していかないと、個別対応を優先していたらいつまでたっても自分たちの時間が取られるだけで、新規事業やそれ以外のことに時間を使えなくなる”と。

「現場」から経営を切り離さないで

「現場(ホントは経営も現場なんだけど)」でスタッフと接していると、一人一人の顔が見えますよね。

だからこそ、このメンバーが最大限の力が発揮するのは、どういう環境を作ればよいのだろうと、精いっぱい奮闘する。

士気やモチベーションという「見えない価値」が、見える価値を生み出す源泉(リソース)だと思うんですよね。

今でも、自分もこれは間違ってないと思うんです。

でも、人事というのはあくまで部門のスペシャリスト。

経営から任されて仕事をしています。

(ごめん、こんなことは絶対おっしーさんは私よりわかってるから、これは第三者向けね)

契約とか委譲とか

プログラミングに「契約による設計(Design by Contract)」っていう概念があるけど、権限を委譲(delegate)されたマネージャに求められるのは、経営者との契約の履行。

じゃあ、どんな契約だったのか、どんなビジョンだったのか?

それは、「離職率100%」ですよね。

おっしーさんは、このように説明しています。
私が入社するきっかけになった”離職率100%の制度”の本来の意図は、実は『ずっとみんなと一緒にいられる制度』なんです。
”退職”を”卒業”とすることで、会社の枠組みを超えても卒業生としてまた同窓会をするようにつながることができる。退職を阻止しようとすると、みんな嘘ついて辞めて縁が途切れてしまう。だったら退職も卒業として応援しましょう。ある期間一緒の会社で働いたという縁を途切れさせず、一生の友として関係性を築いていこう。

もっちーさんの言葉を借りると、

離職を応援するという取り組みの真意は、エンジニアは新しいものに触れて学び成長する生き物。その成長に寄り添うカタチとして引き留めるのではなく、卒業を応援して繋がりをいつまでも残しておきたい。

ここに契約のずれがあるの、お気づきですよね。

おっしーさんは「縁」を価値に置いているのですが、もっちーさんは「成長」に価値を置いているんです。

人事を評価するKPI

「このズレはだれのせい?」ってことでもないけど、お分かりの通りこれは経営の責任なんです。

(これは、マジで偉そうですいません。あくまで前提から導かれる結論です)

では、ズレを検証するにはどうするのか?

これもお分かりですよね。評価なんです。

よくある会社の人事だと、人事が評価者として社員と利害関係が発生するので、フラットな関係性を築くことができないと思うのですが、人が人を評価しない仕組みのメイプルで、且つ SESという業態であれば実現できる!そう思って夢を描いていました。

でも、私の意見はちょっと違います。

「人事が評価する」でなくても、「人事を評価する」。

これが逆張りですよね。

「成長」をどう評価するのか?

経営者が意志を体現する方法をおさらいすると、それには4つあって、

  • 人材配置
  • 予算配分
  • 評価基準
  • 情報発信
情報発信もさることながら、この「評価基準の明確化」が一番向いてることなんじゃないかな、って思うんです。

そうすれば、経営の一部として人事が機能してくるはず。

といいつつ、メイプルさんのKPIを聞きだしたいだけかも・・・
どのようなズレがあるのかと言うと、「サークル活動」「メイプルバー」「社内報」「YouTube」などの費用対効果の見えにくい施作の数々に違和感が増してきていた。
本当の「ズレ」は施策にはなく、「効果」測定の共有なんだと、私は思っています。

ふたりのロールと目線

ちなみに、もっちーさんは「職人の親方」さん。

おっしーさんは「食堂のおばちゃん」。
私の理想の人事のスタンスとしては”軍人が憩いの場とし立ち寄る食堂のおばちゃんスタイル”なんです。

「食堂のおばちゃん」ってすごくいい。私も感動した。

でも、そこには落とし穴もあるんだよ。

わたしが考え込んでしまうのは、「厳しい戦にも立ち向か」った「軍人」は、その先どうなるの?ってこと。

SESが過酷な環境なのは、ちょっとわかります。

でも、軍人の先は「退役」しかないんじゃないの?

師匠に求める目線

職人の世界には、もっと先があります。

どんなに厳しくても、「その道の先に」やりたいことがあるんです。

目の前で傷ついた人がいて、寄り添う気持ちもよくわかります。

でも、採用したスタッフとの約束は「離職率100%」、つまりステップアップの約束。

「成長」こそが約束された価値で、「癒し・つながり」はちょっとズレてしまうんですよね。

職人は、自分に向いてくれるから師匠を好きになるんではありません。

自分の進みたい道を、同じようにもがきながら進んでいる師匠の姿に心惹かれるんです。

現在と未来とその狭間で

経営者はただ先を見ます。

従業員は今を見て、先が信じられなくなることがあります。

本当の「結節点」の仕事は、このあたりなんだろうな、と今なら思えます。

でも、私もかなりウェットなので、なかなかそうは割り切れません。

結びにかえて

それはそうと、こんな素敵な二人に採用されて、仕事を与えられるという幸運のある方、後悔のないようにね。

以上、おっしーさんしか知らない私が適当なことを書いてみました。

これを読んでくださったあなたに素敵なことがありますように。

はぁ、誰も傷つけたくないの、伝わったよね。
私にも素敵なことがありますように…