人は 誰しも「持病」の一つや二つ あるのかもしれません。
「持病」というのは生きる上で辛いものですが、一方でこの持病がなくなった「自分」を想像することもできません。
もしかしたら、「持病」があるからこそ 見える世界というのも あるのかもしれません。
ということで、今回は これまで伝記を読みながら、へー と思った ある知識人の持病について 取り上げてみたいと思います。
病気のデパート
明治の文豪 夏目漱石。ご存知、「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」、「こころ」などで有名な作家で、紙幣に描かれた偉人でもあります。
そんな漱石ですが、文庫本の巻末にある解説を読むと、彼の文筆活動と「病い」については たくさんの記述があります。
漱石は「病気のデパート」と呼ばれるぐらいの持病持ちで、3歳で痘瘡(とうそう)、17歳で虫垂炎、20歳でトラホーム(伝染性慢性結膜炎)、中年以降に胃潰瘍、痔などなど……。
聞いているだけで、しんどそうですね。
過去の病名 ミザンスロピック病
そんな彼は、自身の生涯にわたって付き合った病として、「ミザンスロピック病(ミサンスロピック病とも)」をあげています。なにやら、初耳の病名です。
それもそのはず、「ミザンスロピック病(misanthropic disease)」は、現在の診断では使われない病名なのです。
精神医学は原因や症状による鑑別がしにくいため、通例その時点で権威のある基準に準拠して診断することが多いです。
現在の主流は、「DSM-5」(精神障害の診断・統計マニュアル第5版)や「ICD-11」(国際疾病分類 第11版)。
語源から意味をたどってみると、
misos + anthropos
古代ギリシャ語の misos(憎む) hanthropos(人間)を組み合わせた言葉です。
ですので、「misanthropy」は、日本語では「人間嫌い」「人間不信」「厭世観」などと訳されます。
「病的なほど他人を信じることができない」という症状は、DSMやICDの「パーソナリティ障害」の診断区分に含まれるようです。
遺伝と環境と人間不信
さて、人間不信が「病的」なほど昂じると、「ミザンスロピック病」になるわけです。ここでいう「病的」というのは、生活に支障をきたしていて、本人ではどうにもできない状態のことです。
多くの精神疾患と同じく、「人間不信」の症状も 遺伝と環境の相互作用によって引き起こされると考えられています。
環境要因としては、人間関係の構築の失敗、虐待や詐欺・横領などの犯罪被害での深いトラウマなどによって、社会生活を営むのに支障をきたすものです。
しかし、もちろん同じような経験をしても すべての人が人間不信に陥る、というわけでもありません。
そこに 遺伝的な体質の違いや 精神性の違いなどがあるわけです。
漱石の場合は、生後まもなく養子に出され、9歳の時に養父母が離婚したため正家へ戻されるという、幼少期を過ごしています。
さらにその養父と実父の間にも対立があり、学校も何度も転校しています。
人間関係を学んでいく初期に、「離別」や「憎悪」といった 不安 を強く感じたのかもしれません。
そんな彼が 精神症状で実際に社会生活で大きな支障をきたすのは、成人してからのロンドン留学中。
異国の地での孤独な下宿生活のなかで、閉塞感から精神的に圧迫され、「神経衰弱」に陥ったと言います。
「夏目発狂セリ」という電報が有名です。
結局、国費留学はいったん中止になり、帰国することになります。
文筆業と人事不省
その後 なんやかんやあって、作家として生計を立てていく夏目漱石。文筆業というのは、傍目には「フリーランス」で悠々自適に見えますが、もちろん そうでもない部分もあります。
いくつかの小説を新聞連載で発表していたんですが、そこにはどうしても「締切」や「人付き合い」があります。
ストレスでしんどかったようで、胃病が悪化してしまっています。
そんな漱石のもっとも大きな病気エピソードといえば、「修善寺の大患」。
「しゅぜんじのたいかん」と読みます。
「明治43年、夏目漱石は修善寺で胃潰瘍により大吐血をして、一時 人事不省に陥った」
今までの人生で、この「人事不省」という言葉は、漱石でしか聞いたことがありません。
「重病や重傷などで意識不明になり、昏睡状態になること」で、意識不明の重体です。
べっとりと血を吐いて、昏睡状態になってしまったのです。
どうしてエゴイズム?
後期三部作といわれる作品は、その死の淵から生還して書かれたものです。『彼岸過迄』『行人』『こころ』が「後期三部作」と呼ばれています。
これら3つの作品には一つの共通するテーマがあるようで、「エゴイズムとそれに伴う苦悩」が描かれています。
というのも、三つの作品に登場する人物たちは、それぞれに苦しんでいるのですが、それは「自分の利己的な思い」を発端として悩んでいるのです。
例えば『こころ』では、叔父に裏切られた主人公「先生」が、自分も同じように親友のKを裏切ってしまった、ということに葛藤し悩んでいます。
親友 K がお嬢さんのことを好きだと知っていたのに、裏切りに近い形で出し抜いてお嬢さんを奪い、結ばれた。
よかったじゃないか、と思いますが、自殺しちゃう K もずるい気もします。
はっきりいって お嬢さんにだって結婚相手を選ぶ気持ちがあったわけで、そんなに一人で悩まなくてもよいのでは と思うのですが、「先生」は心を病んで最終的には自ら死を選んでしまいます。
友を裏切ってお嬢さんと奪ったのは、「自分の利のため」。
であるにもかかわらず、結局「自分を許せず苦しんでいく」。
お嬢さんの気持ちなんかお構いなしの、ほんとに「自分勝手な葛藤」なのですが、だからこそ どうしようもないんですよね。
「自分のため(エゴイズム)」とは何なんだろうか、と考えさせられます。
それにしても臨死体験を経た漱石は、どうして「エゴイズムの葛藤」を書こうと思ったんでしょう。
いつまでも先延ばしにできない、という事実を突きつけられ、一番 切実に書きたいことに向かいたいと思ったのかな、と想像します。
実際、漱石がなくなるのは 修善寺の大患の6年後の1916年(大正5年)のこと。
つまり、残された時間は6年だったのです。
わたしたちの個人主義
さて、エゴイズムと一緒に思い出す言葉に、「自分本位」と「個人主義」があります。漱石には『私の個人主義』という論文があるんですが、これは大正3年に学習院大学で行われた講演を記録したものです。
学生に語りかける文章で、分量もそれほど多くないので、ぜひ読んでみてください。
講演なので、ちょっと本論に入るまでの挨拶がぐだぐだなんですが(個人的な「批評」です(^^))、そこからはどの話も面白い。
主に、「自分本位・自由」をテーマとした3つの話があって、私なりに題をつけるなら「自分の生きる道を見出す」「権力・金力で人の自由を縛る危険」「自由と義務の徳義」。
明治期は欧米の文化が入ってきて、「個人主義」という考え方が初めて「輸入」された時期です。
この「個人主義」をどう扱ったものか、個人が自分のために幸せになる、ということがどういうことなのか、なんて 今にも通じるテーマですよね。
まとめ
病的な人間不信である「ミザンスロピック病」。これは社会生活を送ることを強いられながら「他人を信じることができない」という苦しみです。
他人を信じられないということは、他人を警戒し、極度に意識することでもあります。
否応なく人間を深く観察することになります。
そうかといって、「エゴイズム(自我の欲求)」に従う生き方も、やっぱり葛藤に苦しむ。
「こうしたい」と「こうありたい」は違うんですよね。
病のストレスは 胃を蝕み、わずか49歳で生涯を閉じます。
それでも 彼の中には、「信じることができない他人」に対して、良かれ と生きたい、祈りのようなものがあるような気がします。
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