どんなにバッシングされる人にも五分の理があるはず ~絶対悪意識といじめ構図

こんにちは。バッシングされている人を擁護するってかなり勇気のいる行動ですよね。



最近、テレビを見るといろいろな方が、一つの出来事で集中砲火のようにバッシングされるのを見ることが増えたように感じます。

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このような「正義」のバッシングを、物心ついて一番初めに感じたのは、ナチスのカギ十字の取り扱いかもしれません。

第二次世界大戦後の社会において、「ナチス」という存在は「絶対悪」のタブーと位置付けられてきましたよね。

冗談でもまねをしてはいけない存在で、下手にふれると「ナチス礼賛の差別主義者」のレッテルを貼られてしまいます。

しかし、この社会的な反応にならされると、しだいしだいに「悪をバッシングしない人も悪」と考える条件反射を身に付けてしまうように思います。

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身近な人を見れば、人にはいろいろな側面があり、「絶対の悪人」なんてなかなか存在しないとわかるのですが、ことテレビを通した人物の群像を信じると、「こんな人は極悪人だ」とばかりに感じてしまうことがあります。

生身のその人間を知る人は擁護したくても、この「悪をバッシングしない人も悪」とする風潮、つまり同調圧力の前に口を閉ざしてしまいがちです。

これって、学校の「いじめ」の構図に似ていませんか。

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私自身の中にもある「いじめ」をしてしまう、このような心性は、どこに起因するのでしょう。

おそらく「絶対悪」を盲信してしまう幼稚さなのかもしれません。

「盗人にも五分の理」という言葉があります。

無条件に「相手の主張を肯定すること」と「相手の立場を考慮すること」のちがいは意識しておきたいと思います。