ファミコン風の音楽動画を制作したり、日常に遭遇したちょっとしたことをブログに書いたりしています。 とくに自分と違う視点・考え方に接するのが好きです。 モットーは「多様性は善」。ビオラ弾き。あと、双極性なんとかの人。
自制心の欠けた正義は、独善。 つまり、自制心なしに正義はない、と。 いや、主観的には「正義」だろうけど、それはなかなか受け入れられないだろうね。
キラキラした自己啓発から精神を守るのに、源氏物語が拠り所になっている。 光源氏の晩年を思うにつれ、人生は単純ではないと。 これは、1000年前から知られている。
こないだ、デパートに子どもを連れて行きました。それで長いエスカレーターを子どもを抱っこして乗っていたんだけど、ふと怖くなったんだよね。 上りエスカレーターの後ろを振り返るとほぼ絶壁。 もし、急に子どもが暴れて転んだりでもしたら命に関わる。 もちろん、そうそうそんな事はないけど。...
躁鬱、両方経験した上で見渡してみると、生活に壊滅的な影響があるのは巷間言われているようにドーパミン(つまり、躁)の方な気がする。 もちろん、病的な水準ならどっちも。 でも、自分では「絶好調」で思いっきり道を踏み外す、そういうグレー領域が散見され、おせっかいながら心配。 自分では気...
ゲームの「課金」ってバカバカしいように思えたんだけど、実は経済の本質なのかも。 というのも、部外者からすると無価値でも、それを使う必然(ここではゲームをする欲求)があれば、そこに価値が生まれる。 これって、結局はどんなものでもそうで、「砂漠の水」に価値が生まれるのと同じ理屈。 ...
柳宗悦の著書「南無阿弥陀仏」には、「妙好人」という興味深い存在が紹介されている。何をされても「ありがたや」と感謝する妙好人の姿勢は、その人柄の素晴らしさから周囲の人々までもが良い影響を受けるという。 この妙好人に似た存在として、良寛という僧侶がいる。船頭に命を狙われながらも「命の...
営業と聞けば、多くの人が顧客の要望を聞き出し、それに合わせて製品やサービスを提案することを想像するでしょう。この手法を「ヒアリング営業」と呼びます。しかし、この方法には大きな限界がありました。 まず、ヒアリング営業では顧客自身が気づいていない潜在的なニーズに気づくのが難しい点が挙...
人間は、ズボラだから問題が解けるのかも。 数学の問題とかで、すべてのパターンを1つずつ繰り返しチェックする、なんて処理は飽きるし、なんかのパターンに気づく。処理の途中で切り上げて、別の方法で答えを得る。 この途中で切り上げる能力って実はすごい。 そう考えると、近年、ヒトは「労働...
富や権力を得たら恋愛はできないのか、といっても、実際 そう なんだと思う。きっと恋愛はそれらを得る前に済ませて置かないといけないんだろうね…。
なんか最近、「多様性」っていう言葉自体が画一化されつつある気がする…。
そういえば、 この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば という歌の、我が世と思っているのは満月であって、詠み手ではないのでは、という話を聞いて、 春の花、今は盛りににほふらむ、 折りてかざさむ、手力もがも のような「今限り、この夜限り」という感じなのかな、と。
TwitterのAPI有料化が、生成AIの学習データとして吸い上げられ続けたくないから、という説を聞いて、それが正しいかはわからないけど、外部環境も含めて全体を俯瞰して見ることは大事だなと思いました。
将来安泰、長期保証というのは想像の産物で、自然の摂理に反すると思う。(急に iPhoneがつかなくなって、修理代がつらい……)
あぁ、「人気」って、けっこうな成分に羨望が含まれているのかも。 だから、ちょっとした足の踏み外しで、いっきに手のひら返しが起きるのか。 地道に生きる人への「尊敬」との違いなのかな。 目立たない方が結局 長生きできるのかもねー。
「バズる」ことにとらわれすぎると、過激な方向に進むというけど、かつての「テレビ出演」なんかも同じだったのかも。 視聴率だと、人気だけでなく、嫌う人も(粗探しに)見るから、人気があるのか、嫌われているのか、見失いがち。 見る人がコストを支払う、モノの売上とはちょっと違う。 テレビ...
正しいか、正しくないか、ではなく、好きか、嫌いか、で判断したって時には いいと思う。
子どもたちが「あつもり」や「ロブロックス」を楽しんでいるのをみると、子どもにとっての安心して馬鹿騒ぎできる居場所がゲーム内に追い込まれてしまっているのかな、と思わないでもない。都市部の外遊びは、事故が怖いんだよねー。棒切れもって「冒険」とか「秘密基地」、したくても今は難しい…。
怒りっぽい人、愚痴っぽい人、それも多様性でよいと思う。まぁ、そこから人が離れていくのもしかたない。人それぞれ快適な環境を求めるから。 ただ、怒りっぽさや愚痴っぽさも、ヒトの存続にプラスになるシチュエーションがきっとあるとは思う。お互い日々 生きながらえるのに精一杯ではあるけど…...
欲の強さは、ガッツの強さでもあるんだろうね。
特殊な才能があるのに人格的にヤバい人はいるし、一見 平凡なのに人格的にヤバい人もいる。ヤバい。
学習データが少ない領域を聞いてしまうと、ほぼ学習データをそのまま答える。それも、「いろんな情報をまぜこぜにして生成している」とでもいうような顔で。 データの重なりがあれば生成だけど、珍しいと剽窃。これって、した方はわからないのに、された方は一発でわかる。AIでも許されない気がする
会話が通じない人と会話するのは骨が折れるよね。耳に残る単語と連想だけで、文章として伝わらない人もいる。思えば、すごい処理なんだね。
気づいて感謝できる、というのが一番の賢さな気がするよ。子どもらには、これだけ伝えられたら、十分と思うことにしよう。
すごい人のすごさに学ぶのもよいけど、すごい人のすごくないところを知るのも精神衛生上よいよね。
娘氏(小5)が道徳の教科書を一気読みして面白かった話を朗読してくれている。どの話も登場人物それぞれの立場があることがわかる話で、確かに「ドラマ」として面白かった。単純な善悪二元論のストーリーではないからいいよね。
頼りにされると情報が集まるのはホントにそう。雪だるま現象ですねー。
4月にダイヤ改正になってから、行きも帰りも乗換の接続が悪くなって、あと一歩で乗れない。 たぶん、これはネガティブの印象が残っているだけで、変化に不満はつきものなんだろうなぁ。
大人に期待してはいけない。 一皮に剥けば、子どもばかり。
人間のする「判断」という行為は、「断つ」という漢字があるように、切って捨てることなんだろうね。 なんとなく情報を重ね合わせて総合する、というのとはちょっと性質が異なるはず。
あれ? ignoranceって、「無知」だっけ、「無視」だっけ?と思ったら、ignoreは「無視する」なのに、ignoranceは「無知」。「無視」なら、neglect か disregard なんだって。 語幹が同じで品詞が変わるだけで意味が変わる言葉って、ほかにもあるのかな...