私にとっての嫌われる勇気 ~ 課題の分離とハーモニー

今さらの今さらですが、『嫌われる勇気』という本について書いてみたいと思います。



『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健)の書評というよりは、「私はこう受け止めました」という体験談です。

とくに対人関係での悩みについて書いています。


きっかけは「他者の課題」というワード

この本をあえて今、手に取ろうと思ったのは、以下のツイートを読んだからです。
なにげなく見つけた「他者の課題に介入してた」という言葉に、自分の心がチクっと刺さったような痛みを感じました。

アドラー心理学って何?

これまでも「アドラー心理学」という言葉は耳にしたことがありました。

どうも悩む人を勇気づけるような話みたいだけど、「自己啓発の元祖」みたいな紹介のされ方をしていて、どことなく「意識高い系」の「キレイごと」のような先入観がありました。

ところが偶然にも「他者の課題への介入」という言葉を目にし、「お前はこのままでいいのか?」と突きつけられているような気がして、とにかく読んでみようと決心しました。

悩んでいる人を前にして

というのも、最近いろんな人と関わる中で、漠然とですが「はたして他人の悩みに首を突っ込んでいいのだろうか」と不安に感じることがたびたびあったからです。

自分は人が悩んでいるのを見聞きすると、いてもたってもいられないことも多く、声をかけたりもします。

普通に考えれば、悩んでいる人に声をかけることなんて、なんだか無責任なようにも思います。

本人はその悩みに24時間真剣に向き合っているのに対して、自分は部外者にすぎないからです。

ただ一方で深刻に悩んでいる人には、「声をかけてほしい」と言うことすらできない場合もあるように思います。

自分の中の躁鬱の出口

ちょっと自分の話になりますが、私には季節性の双極性障害(いわゆる躁鬱病)という性質があって、夏の躁と冬の鬱を繰り返しながら生活してきました。

病院で診断され、それなりに受け入れた今は、冬に抑うつ状態になっても、「いずれ、春になって気温が上がり日照時間が伸びたらよくなる」と思えるようになり、だいぶしんどさが減りました。

しかし、以前はこの悩みのループから自分では抜け出せないことがたびたびありました。

まるで電子回路の短絡のように悩みから抜け出せません。

思考回路はショート寸前♪

そのために、いくどか引きこもり状態になってしまって、そのたびに学校や仕事を辞めることになってしまいました。

そんな自分を悩みのループから救ってくれたのは、二度目の大学生活で出会った担任の先生です。

もともと精神科医をされていて、大学では障害についての生理学・医学的なことを教えておられました。

その時は教育実習だったんですが、ストレスと不眠で急に抑うつ状態になって、不登校状態になってしまいました。

ちなみに私にとってはどうも不眠が一番の大敵なようです。

そんな時に先生がわざわざ私の当時の下宿まで来てくださって、それこそひっぱりだしてくれたんです。

何も言わずにそうめんを食べさせてくれて、翌朝一緒に近くの山に登って、日の出を見せてくださいました。

もちろんこれが万人に当てはまる方法ではないのですが、少なくともあの時の自分は誰かがひっぱってくれるのを「待って」いたんだと思います。

悩みへの反応

逆に自分も人の悩む姿に出会うことがあります。

面と向かってでも、SNSであっても、いろいろな悩みの声を見聞きすることがあります。

ほんとにお節介な話なのですが、そういう人を見ると気になって、いてもたってもいられなくなることがあります。

それぞれにいろんな事情や時期、段階があると思いますが、中には私のように誰かに近くに居てほしいタイミングの人もいるのではないかと思います。

助けることは助けられること

自分の胸に手を当てると、これには相手を助けたい「共感」もあるんですが、もう一つ自分勝手な理由があるのは否めません。

それは、抑うつ状態への備えです。

もともと情動的な記憶力が弱いのか、それとも躁うつだからなのかわかりませんが、私は夏時期に軽い躁状態になると、冬のうつ状態の気持ちや経験をころっと忘れてしまいます。

それこそ、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」です。

その時の自分がどう感じて何に悩んでいたか、実感として思い出せないんですよね。

だけど、冬にはまた落ち込む時期が来るわけです。

その時に向けて、悩む人の求めている助けを知ることで、自分が本当に求めている助けを知りたいという欲求があります。

助けを求められないことは苦しくて、自分で助けを求められるようになりたいからです。

逆に、求めていない助けを押し付けられるのはもっと苦しいことです。

そういう感覚もあるからこそ、いま悩んでいる相手の気持ちに土足で踏み込んでしまう危険を知りつつ、それでも関わろうとしてしまう自分の衝動性に不安を覚えていました。

『嫌われる勇気』から学んだこと

このまましててよいのか、どのようにつきあえばよいのか、この『嫌われる勇気』を読みながら、考えていました。

他者との関わりについて読んでみると、3つの事が書いてあるように思います。

1つ目は「課題の分離」、つまり「他人の課題を解決しようとしたり、他人を思い通りにしようとしても幸せにはなれない」、「他人に好かれようとして、自分を見失っても幸せになれない」ということ。

2つ目は「他者貢献」、「わたしが他者になにをできるかを考え、実践することが幸せである」ということ。

そして、3つ目は「勇気づけ」、「対等な関係の中で、感謝や尊敬の表現で自分で解決する援助をする」ということ。

読後感は意外とすっきり

まだ自分にはよくわからないこともありますが、読む前の悩みはすっきりしました。

心に銘記するようになったのは「人は人」ということと、そのうえで「自分のできることをしよう」ということです。
  • 他人の悩みはわかりようもないけれど、わかろうとする努力をしよう。
  • 励ましになるかはわからないけど、励ましてみよう。
  • うまくいかないとき、無理に挽回しようとせず少し離れて見守ろう。
と思うようになりました。

人と人が響き合うとき

人と人の距離感ってすごく難しいです。

相手には相手のペースがあって、こっちにも自分のペースがあって。

でも、そういうペースがシンクロして共鳴した時は、とても心地よいものです。

温かい雰囲気でかかわることができる時間は、満ち足りた気がします。

これまで「共感」という言葉は、「相手と同じ気持ち」とか「自己投影」とどう違うのかわからなかったんですが、今はこの「響き合う感じ」なのかな、と思います。

音楽でも異なる音が重なって響き合うときに、そこにハーモニーという新たな美しさが生まれます。

まだまだ奥が深いので、人間関係や自分の在り方につまづいたら、手に取ってみようと思います。

もしかすると、また新たな発見があるかもしれません。

あとがき~勇気を出して

本当はこの話をブログにするつもりはありませんでした。

だって、こんなこと考えながら話してる、って人に知られたら、引かれるかもって思うからです。

でも、この本に出会うご縁をいただいたこちらの記事と『嫌われる勇気』に敬意を表して、せっかくなので勇気を出してみようと思います(*^-^*)


こんな人間ですが、どうかこれまで通りお付き合いいただければ幸いです。

これからもよろしくお願いいたします。

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