それも一つの道【3000文字道】



ずっと残っている言葉があります。

「稽古とは一より習い十を知り 十よりかえるもとのその一」

「もう歳だから、ずっと同じことを繰返し聞いているわね」と年配のご婦人がいたずらっぽく笑いながら、「でもね、若いころに茶道でもこんなことを習ったのよ」と教えてくれた言葉です。


はじめて通る道は、先の景色がどんどんみたくて、夢中になってぐんぐん進む。


でも、ある程度 経験を重ねてから通る同じ道は、あれ?こんなところにこんなステキな花が咲いてたんだっけ?

なじみの道なのに、新鮮な魅力に気づく。


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好きな人のブログを読んで気になっていた“3000文字チャレンジ”の「道」というお題に挑戦してみました。








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洋の東西を問わず 人は道を歩きながら、いろいろな「生きる道」を考えてきたようです。

英語でも「道:way」という言葉には、そのほかに「方法・やり方」という意味があります。

一つ好きな言い回しをご紹介すると……

There's more than one way to do it

この頭文字をつなげて「TMTOWTDI」(ティム・トーディ)と読むそうです。

これはプログラミング言語Perlのモットーです。



以前は掲示板のような動的なページといえば、Perlで書かれたcgiが主流だったので、cgiのためのプログラム言語だと思う人も多いかもしれません。

もともとはUNIXユーザーのプログラマLarry Wallが、コンピュータの電子データをレポートとして整形して出力するための自分用のツールとして作ったものです。

例えば、成績データとして「90, 20, 40, 80」があったときに

A.. 90 pass
B.. 20
C.. 40
D.. 80 pass
Ave 57.5

のように出力する、そんな用途に使われ始めました。

今でこそExcelなどで簡単にできるのですが、当時のコンピュータでは整形ルールをプログラムとして記述する方法で解決していました。

今でもサーバーのコマンド出力を制御するのに重宝します。

それが、いつのまにか動的なウェブページという別の「用途」に使われるのですから、「道具」というのは不思議なものです。

「用途の途」も「道具の道」も道ですね。


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さて話を戻しましょう。

There's more than one way to do it
「やり方はひとつじゃない」

たとえば、あるテキストの全文から小文字の'o'を大文字の'O'に置換したいとします。

以下にPerlのコードを載せますが、意味がわからなくてもご安心を。

my $string;
while (defined($string = <STDIN>)) {
    $string =~ s/o/O/g;
} continue {
    print $string or die;
}

とりあえず、こんだけの分量で書ける、とだけ覚えておいてください。


ところが、Perlでは上と同等のことが

while (<>) { s/o/O/g } continue { print or die }

と表現することもできます。


もっというと、ワンライナーの-pオプションをつけると、

s/o/O/g

だけで、すみます。


わずかに8文字です。

6行118文字がたった8文字ですよ。



なにを言っているかわかりませんよね。

この例については再考の余地があります…。




いずれにしても、このように呪文のように「魔術」的にコードを記述できるのがプログラミング言語Perlです。

そのため、人によっては「読みにくい」として忌避されることもあります。

でも、私は同じことを伝えるのに長くも短くも書ける、こんなPerlがわりと好きです。

「人の可能性」を信じるポジティブな言語です。

いろいろなやり方があると、わけがわかりにくくはなるけど、可能性が広がるし、楽しいんですよね。

ちなみに私がプロフィールに書いている「多様性は善」という言葉は、教育や福祉の言葉っぽいですが、このPerlの系譜につらなるプログラミング言語Rubyのモットーです。


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世の中には多様な道があります。

いろんなやり方があるし、生き方があります。

職場でも、理不尽なやり方・無駄なやり方はたくさんありませんか?



時に「何でこんな無駄なことを!?」と思うこともあるし、「こんな味気のない方法でつまらない!」と思ったりすることもあります。

教科書やマニュアルは、「よい方法」を教えてくれます。

それには確かに学ぶ「価値」があるでしょう。

でも、それが唯一の方法ではないんですよね。



世の中にある、一見無駄な道にも理由があると思います。

そこを通る人にはその人の事情があります。

通る人びとが踏み固めたからこそ、その道はあるわけです。

もちろん、道を改めたり、整えたりする必要があることもありますが、その時には「なぜ、その道ができたのか」ということを考えるように心がけています。


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私の住んでいる街には、小さな路地がまだまだたくさんあります。

気まぐれに家の近くのそんな路地を歩いてみると、その先にぽっかりと見たこともない素敵な光景があったりします。



ちょっとした思い付きで細い路地に入り暗い道を進んでみると、急にあたりが開かれる。

薄汚れた家の錆びついた壁面に囲まれた空き地の真ん中、丈の高い雑草の中に一凛の青紫の花が咲いている。



いま、そんな路地裏がどんどんつぶされて整備されていくのを見ると、キレイになる反面寂しい思いがします。



自分の中にも小さな路地がたくさんあります。

癖や習慣は、自分自身の踏み固めた道です。



「習慣を変えよう」とする人を目にします。

自分もそうして「成長」してきました。

でも、最近思うのは逆のこと。

自分の癖から自分自身を知りたい。



どうして、電車を降りるときにスマホが落ちないかぎゅっとにぎるのか。

どうして、毎回お酒を飲みすぎてトイレでうずくまるのか。

どうして、あの人と顔を合わせると心が落ち着くのか。


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脳神経というのは一つの道で、人生の経験のなかで ある道は太くなり、ある道は細く消えていくそうです。

脳には可塑性(plasticity)という性質があり、学習や経験で脳細胞のシナプス結合は変わり、運動や行動に変化が現れます。

よく使われた経路が強化されて、あまり使われない経路は衰退する。



そうであるなら、いまの自分の癖というのは自分の学習・経験の歴史ですよね。

きっと忘れてしまった記憶がヘンな癖として残っている。


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子供の頃からアリの作る道が好きでした。

ずっとしゃがみながら飽きずに眺めていました。


どうして、アリは行列を作ることができるのか、初めて知ったのは小学校の国語の授業だったような気がします。

あるアリが偶然見つけた餌場への経路を少しずつ他のアリが通り、その出す匂い物質(フェロモン)がどんどん濃くなる。

これでほかのアリも匂いに引き付けられるだけで餌にたどり着くことができる。


個々のアリの単純な性質が重なることで、群れ全体として「賢い」性質を生み出すのは自然の美しいシステムです。

そんな仕組みを「創発(emergence)」というそうです。

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最後に自分の好きな言葉をご紹介すると、

桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す

これは中国の古典「史記」にある故事成語で、成蹊大学の名前の由来でもあります。

意味は、桃やすももは何も言わないが、花や実を慕って人が多く集まるので、その下には自然に道ができる。徳望のある人のもとへは人が自然に集まるということです。


現代は人を集めることに躍起で道を作ることに忙しいですが(ふとオリンピックを思い出した)、本来、人は自然と集まり、道は自然とできるものなのかな、と思っています。


「もの言わざれども」というのは「表現すること」の否定かというとそうでもなくて、これは「表現するもの」と「表現されるもの」のバランス関係とも受け取ることができます。

大切なのは「花や実」。

自分にとっての「花や実」は何なんでしょうね。

でも、この世界にはいろんな花や実があって、そこに続く多様な道があることが好きです。

普段 何気なく見ている道もちょっと脇見をしてみると、ステキな花に続く小さな道が見つかるかもしれません。